2006年11月22日

ルネ・マグリット「アルンハイムの地所」

アルンハイムの領地 (50×70cm) 

「アルンハイムの地所」は、米国の作家E.A.ポーの同名の短篇小説に触発されて描いたといわれる奇妙な絵。
石の欄干の上に卵を抱く鳥の巣があり、背景には猛禽類のような形をした岩山が広がっている。
同じマグリット作の「千里眼」という絵のように、卵の未来が背景に映し出されているのか。
あるいは卵の持つポテンシャルが岩山に滲み出しているのかもしれない。

「人の姿形をしているが、地面に映る影が悪魔の正体を晒している」
といった、不気味な怪奇映画のような趣のある絵である。

ポーの「アルンハイムの地所」は、莫大な遺産を相続した詩人のエリソンが、理想的な美を求めて楽園を創造する話。
神の創造した自然ではなく、詩人の手になる新たな美と調和をめざした人工庭園である。

江戸川乱歩もポーに誘発されて、偏執狂ともいえる男が造った、奇妙で官能的な楽園の話「パノラマ島奇談」を書いている。

「アルンハイムの地所」
ルネ・マグリット  Rene Magritte 1898-1967年,ベルギー
posted by アートジョーカー at 16:26| Comment(0) | Rene Magritte | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月20日

エゴン・シーレ「家族」

The Artist's Family


家族が濃い、としかいいようがない。
家族は、いつも肉の触れあうほど近くにいて、共に働き、飯を食い、眠る。
家族は、家族の中で産まれ、家族の中で死ぬ。
同じ匂いのする肉体の集まりが家族である。
近頃の家族は薄いような気がするが、この絵に描かれた家族は濃い。

父親のモデルはシーレ自身だといわれる。
母親はシーレの妻のエディット。
ただし、夫婦に子供はいなかった。
妻のエディットは、この絵が描かれた年に流行したスペイン風邪で逝く。
妊娠中だったらしい。
シーレは、妻を看病することで風邪が移り、妻の死の3日後に他界したといわれる。

ところで、エゴン・シーレはオーストリア生まれだが、在日本オーストリア大使館によると、この国名の表音表記は、南半球のオーストラリアと混同され続けているため、10月より日本語のカタカナ表記を「オーストリー」に改めることにしたという。

「家族」 The Artist's Family 1918年
エゴン・シーレ Egon Leo Adolf Schiele
1890-1918年,オーストリー 
posted by アートジョーカー at 18:17| Comment(0) | Egon Schiele | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月14日

エゴン・シーレ「死と乙女」

Death and the Maiden (Mann Und Madchen), 1915

シーレはまだ画学生だった頃、40代半ばのグスタフ・クリムトと出会う。
クリムトは短い生涯を通じての良き師、あるいは良き友となったという。

「死と乙女」に描かれた女は、クリムトの絵のモデルをしていたヴァリー・ノイツィで、シーレの恋人だった。数年の同居生活が続くが、シーレがのちに妻とするエディットに心を移したため、ヴァリーは身を引き、第一次大戦に看護婦として従軍した。やがて病を得て亡くなる。23歳だった。

男は目が逝ってしまっている。
瞳孔がひらいているような気がする。
虚ろであり、心の抜けた肉体、すなわち死体になっているようだ。
女が寄りかかり、肉の触れあいを求めてみても、死体となった男は冷たい。

「生まれてすみません」
と書いたのは太宰治だが、シーレもまた、おのれ自身を直視し、悪臭のする心の襞までをさらけ出しているような気がする。

「死と乙女」 Death and the Maiden 1915年
エゴン・シーレ Egon Leo Adolf Schiele
1890-1918年,オーストリー 
posted by アートジョーカー at 17:14| Comment(2) | Egon Schiele | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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