2006年08月18日

犬も女も溶けあう、マリー・ローランサン

Femmes au ChienFemmes au Chien

「女の手や足が私の心を捉えます」

女の体のどの部分に女を感じるのかは人それぞれだと思うが、それが胸や尻だとふつうで、背中だとやや通人、手や足となるとフェティシズムの世界に入るのかもしれない。

細く、なまっちろい蝋人形のような手足は、ただそこにあるだけでも艶めかしいが、さらに獣の肌触りを加えるとどんな感じか。女が犬を抱く肌触り。あるいは女に抱かれる感触。女になるか、犬になるか。考えただけでも妖しい。犬も女もなにもかも絡み合って、幻じみた世界に溶けてゆく。魅せられて、二次元に閉じこめられ、二度と出てこられなくなる。色と詩の世界の住人となる。

マリー・ローランサンの母親は1883年、パリの町で私的にマリーを産んだという。つまり未婚だった。家政婦をしながら育てた。のちにマリーの恋人となる詩人のアポリネールも父親を知らない人だったらしい。マリーは高校卒業後、アカデミー・アンベールで絵を学び、ブラック、ピカソらとも交遊を深めた。
恋人アポリネールと別れたのち、ドイツ人男爵と結婚。第一次世界大戦中は敵国人となりスペインに亡命した。離婚後、パリに戻り独自の画風をひらいた。

マリー・ローランサン Marie Laurencin 1883-1956年 フランス 
posted by アートジョーカー at 17:58| Comment(0) | Marie Laurencin | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月15日

淡い妖気のマリー・ローランサン

Danseuses EspagnolesDanseuses Espagnoles

「死んだ女よりもっと哀れなのは忘れられた女です」
               
マリー・ローランサンは詩人でもあった。堀口大学訳「鎮静剤」という詩の一節より。
忘れられないために、なまっちろい蝋人形のようになって、永遠の淡い色の世界から男たちにメッセージを送り続ける。

マリー・ローランサンは絵を通して男を逸楽的な気持ちにさせたいという野望を持っていたらしい。
自身の絵を、自分と他人に告げたい恋のお話であると語っている。

「鎮静剤」は第一次大戦下、スペインに亡命中、夫であるドイツ人男爵と心が離れていたときに描かれたいわれる。
淡く蠱惑的な、妖精のような女の肖像を描くようになったのは、夫と離婚してパリに戻った1921年頃からのようだ。マリー・ローランサンの恋のお話としての美の世界は、パリの裕福な婦人たちの間でとくに支持されたという。

マリー・ローランサン Marie Laurencin 1883-1956年 フランス 
posted by アートジョーカー at 12:54| Comment(0) | Marie Laurencin | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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