2006年03月25日

デ・キリコ、マネキンを想う

The Two Sisters (After de Chirico), 1982

デ・キリコは、動かず、沈黙する「人間のカタチ」にこだわった。
叩かれても蹴られても表情を変えない人形(ひとがた)に囚われた。
はじめはギリシャの彫像を好んで描いたが、のちにマネキンをさかんに描くようになる。
なにがデ・キリコをそうさせたのかはよくわからない。

或る怪奇小説に、こういうのがある。
物理的には、単なる一体のマネキンがあった。
ところが、見る人によって、どのような顔にも変化して映る。
ある人には別れた恋人の顔だったり、ある人には自分があやめた人間の顔だったりするという。

マネキンこそ、形而上絵画の最高の素材だったのかもしれない。
posted by アートジョーカー at 20:36| Comment(0) | Giorgio de Chirico | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月24日

目を瞑って見た世界、デ・キリコ

憂鬱【600mm×800mm】アートポスター

デ・キリコは1988年、ギリシャで生まれた。両親はイタリア人。
幼少の頃より絵を描きはじめる。19歳でミュンヘンの美術アカデミーに入り、ニーチェの思想にも触れた。のち、魂の故郷ともいえるフィレンツェに移り住み、ルネサンス絵画を学ぶ。

「神は死んだ」と言ったのはニーチェだが、キリコの見た街は死んでいるのか、生きているのかわからない。

有能な考古学者は、遺跡のまえに立つとインスピレーションが沸いてきて、太古の人間たちの暮らしぶりが見えてきたり、生活の匂いまで漂ってくるというが、デ・キリコの場合、いまある街の姿に、遠い過去の記憶ようなものが映り込んだのかもしれない。とにかくデ・キリコのいる周囲の時空は歪んだかのように奇妙なビジョンをもたらしたようだ。
目を瞑って、魂に聞いてみた世界がそこにあったのかもしれない。

ジョルジョ・デ・キリコ「憂鬱」

posted by アートジョーカー at 16:40| Comment(0) | Giorgio de Chirico | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月22日

デ・キリコの「終わりなき旅」

Endless Voyage

アリストテレスは「自然学」のあとに続くものとして、「第一哲学」を著した。
この表題からは、「哲学がここから始まる」という意気込みが感じられる。
「第一哲学」は、自然学を超える形而上学(metaphysics)の基礎となった。

自然学は、自然の物理的な現象を見つめるもので、形而上学はその奥にある「存在」を想うもの。
たとえば第一存在としての神を考える場合にも活かせるため、のちに神学にも採り入れられ、スコラ哲学を生むことになる。
日本にキリスト教を伝えた宣教師たちは、議論好きの僧侶などから様々な問答を仕掛けられたとき、形而上学を学んでいたことが役に立ったともいう。

アリストテレスの形而上学は、プラトンが唱えたイデア論に、アリストテレス自身の解釈でもって修正を加えたものといわれる。イデア論とは、目に見える事象などは本質としての「イデア」の影にすぎないという、独特の超自然的世界観にもとづくもの。どっちにしても、見えたままの現象を信じないし、そこに高い価値をおかない。

デ・キリコは形而上絵画の代表といわれ、ダリなどのシュルレアリスムの画家たちに影響を与えた。
形而上絵画とはなんだ?
ということになると、単なる写実ではなく、その奥にある本質を描くことだろう。

たとえばパリの町で、ショーウィンドーの向こうに立たされたマネキンを見たとき、デ・キリコの脳裏にある風景が映ったとする。
いつも何かに拘束されて生きながら、周囲とは戦争ばかりをし、屍を積み重ねている人間の都市というものが、混乱した時間のスクリーンに映ったとする。

ジョルジョ・デ・キリコ「終わりなき旅」1914年



posted by アートジョーカー at 12:00| Comment(0) | Giorgio de Chirico | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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