
なにかもう、こうなると、桃色を楽しんだり、桃色という色彩の素晴らしさを表現するために描いたような絵ではないかとも思う。
桃色の裸婦にも、習作が何枚もあって、最初の頃はふつうの裸婦画に近い。
そして人間のカタチがだんだん単純化されていく。
マティスは、もはや目に見える対象を単にデフォルメして描くのではなく、自分が想う、最良のカタチを自在に作っているような感じ。目に映った対象は、創造のための、ちょっとしたきっかけにすぎない。
そして最後は、画面の中に、「色彩の美しい秩序」だけが残るのかもしれない。
「桃色の裸婦」1935年