2006年04月15日

桃色の裸婦、マティス

Pink Nude, 1935

なにかもう、こうなると、桃色を楽しんだり、桃色という色彩の素晴らしさを表現するために描いたような絵ではないかとも思う。

桃色の裸婦にも、習作が何枚もあって、最初の頃はふつうの裸婦画に近い。
そして人間のカタチがだんだん単純化されていく。
マティスは、もはや目に見える対象を単にデフォルメして描くのではなく、自分が想う、最良のカタチを自在に作っているような感じ。目に映った対象は、創造のための、ちょっとしたきっかけにすぎない。
そして最後は、画面の中に、「色彩の美しい秩序」だけが残るのかもしれない。

「桃色の裸婦」1935年
posted by アートジョーカー at 14:05| Comment(0) | Henri Matisse | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月14日

少しずつ好きになる、マティスのダンス

Dance

マティスの絵を積極的に買い求めたのは、ロシアの富豪セルゲイ・シチューキンをはじめとする外国人たちだった。1910年に「ダンス」を描いた頃は、まだフランスでは認められていなかったのである。

マティスは「ダンス」のための習作を何枚も描いている。そのスケッチや水彩画などが残っていて、マティスの試行錯誤のあとが見られておもしろい。

「ダンス」は、少しずつ好きになっていく絵ではないかと思う。
ヒトのカタチと色だけの、単純で平面的な構成が、なんだかとても気持ちいいし、どれだけ見ていても飽きない。

1930年、バーンズ美術館から壁画制作を頼まれたとき、マティスは、ふたたび「ダンス」を描く。20年前に描いたダンスよりも、さらにすっきりと単純に仕上げている。
posted by アートジョーカー at 16:23| Comment(0) | Henri Matisse | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月10日

マティスのある窓辺もいいなぁ

Interior with Egyptian CurtainInterior with Egyptian Curtain

アンリ・マティスは1869年、北フランスのル・カトー・カンブレジで生まれた。
法律家をめざし、19歳の頃にパリの法学校で学んだのち、故郷に帰り、法律事務所に勤めた。が、病気療養をきっかけに絵画に目覚め、画業を志すようになる。

この絵は、『ギャラリーフェイク』(細野不二彦)2巻ART.1「愛国者のトリック」に出てくる。ストーリーとの直接の関係はなく、ただ1コマの中に、すっと描かれているだけだが、その存在感に少し驚いた。

作者がマティスの絵を、Gペン・黒インクで模写し、スクリーントーンを貼って仕上げたと思われる。だからモノクロなわけで色がない。しかし、マティス以外の何物でもないと思った。色がないからこそ、物の配置、バランス……構図の完璧さが妙に際だって見えたのである。

こういう絵が部屋の窓わきに、ぽつりと掛けてあると、とても洒落ていると思う。
posted by アートジョーカー at 16:17| Comment(0) | Henri Matisse | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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