2006年04月02日

クリムトが描くユディト

Judith

アッシリアのホロフェルネス将軍が、ベトリアの町を包囲した。
町は水源を断たれ、無条件降伏を迫られた。
そのとき、美しい未亡人ユディトが、敵陣に乗り込んで交渉した。
ホロフェルネス将軍は、ユディトの美貌に惑わされ、酒を酌み交わした。
ユディトは、酔って眠り込んだ将軍の首を掻き切って、町に持ち帰った。
大将を失ったアッシリア軍は退却した。

クリムトにとって、ユディトは最高の「素材」だったのかもしれない。
ボッティチェリ、ジョルジョーネ、クラーナハといった過去の大家たちも、ユディトを描いている。
が、それはジャンヌ・ダルクのような勇敢な聖女のイメージである。
こんなユディトを見たことがない。
天性のサディストのような、底知れぬ妖艶さが漂っている。
posted by アートジョーカー at 18:27| Comment(0) | Gustav Klimt | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月01日

クリムトの四角い風景画

Allee Im Park Von Schloss Kammer
Allee Im Park Von Schloss Kammer



19世紀後半、印象派によって起こった新しい美術の流れは、次第に激流となり、やがて枝分かれしていった。1886年、最後のグループ展が開かれる頃、印象派は過去のものになりつつあった。
時代は、網膜に飛び込んできた印象だけではなく、絵画にさらなる内面を求めはじめた。
ゴッホ、ゴーギャンといった後期印象派には、すでに感情や精神表現の含みが濃く現れている。

クリムトも、自分の思想や世界観を作品に込める、象徴主義の芸術家の一人とされている。
しかし、クリムトの風景画には、そうした象徴派としての側面よりも、印象派に回帰したようなイメージもある。
クリムトは、風景画に点描を用いている。
印象派は、たとえば目の前に現出した一瞬の光の印象を描く。
モネなどにみられる点描技法も、きらきら光る風景をキャンバスに直截的に映しだすのために、最適の技法のひとつといえたかもしれない。
ただ、クリムトの点描には、網膜に飛び込んできた光の印象というよりも、どこか企てたような「装飾的な印象」を感じる。

四角形のキャンバスに切り取られた、クリムトが観た風景。
posted by アートジョーカー at 17:15| Comment(2) | Gustav Klimt | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月30日

恍惚の母子像、クリムト

Three Ages (Detail)Three Ages

「子はふたたび子宮の中へ戻りたがり、女はそれを受け入れることで、至上の愛が完成する」
とでも勝手に解釈したくなるような母子像。肌の匂いを求めあい、感じあう恍惚の時間。

クリムトは、ウィーン大学のフラスコ画を依頼された際、大学の象徴である、「知」というものに疑問を投げかける寓意を込めた絵を描いたという。そのことで批判を浴び、古典との「分離」を宣言した。
クリムトの手にかかると、「聖域」である母子像も、ひたすら官能に満ちたものになる。
posted by アートジョーカー at 18:44| Comment(0) | Gustav Klimt | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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