2006年11月07日

無意識の滴り?ジャクソン・ポロック

Number 8, 1949


11月2日付のニューヨークタイムズ紙によると、ジャクソン・ポロックの「No.5,1948」という作品が、絵画取引史上最高額となる約1億4000万ドル(約163億8000万円)で売買されたらしい。

ジャクソン・ポロックは、抽象表現主義の代表的な画家といわれる。
その創作手法は、アクション・ペインティングと呼ばれた。
先行するシュルレアリストたちの影響を受けながらも独自の表現を求め、ドリッピングという「垂らしの」技法を深めた。

筆に絵の具を含ませてカンヴァスに垂らしたり、振りつけたりする。あるいはペンキを缶から直接垂らす。そして砂や異物を塗り込んだり、押しつけたりする中で、次第に濃く深い、独特のマティエールが堆積されていく。

たとえばフロイトの理論に傾倒したダリは、独自の「偏執狂的批判的方法」によって、無意識の世界のビジョンを示そうとした。
それは、燃える麒麟であるとか、溶けた時計であるとかの不思議なビジョンだったが、具象的であり、とりあえず何が描かれているのかはわかった。
しかし、ポロックの場合は物のかたちがない。模様のようなものが抽出された。

ポロックの絵は無意識のイメージの滴りか、それとも計算された画家のアイデンティティの表現か。
それはどちらでもいいと思う。
創作という行為自体が、自己の無意識、あるいはユングのいう集合的無意識との対話と考えることもできるからである。その表現が面白いか否かも、無意識にまで訴えかけてくるかどうかにかかっているのかもしれない。

なんだかわからないが、もの凄い表現。
おどろおどろしい無数の人間の業のようなものが、カンヴァスに堆積しているような感じがする。
ポロックの絵のインパクトがあまりに凄まじいので、記憶に深く刺さり、ドリップされた絵は、すべてポロックの亜流に見えてしまうのである。

「Number 8」1949年
ジャクソン・ポロック Jackson Pollock 1912-1956年,アメリカ
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2006年11月06日

モンドリアン「赤、青、黄のコンポジション」

Composition with Red Blue Yellow


近代という世界観では「個」を大切に考えてきたはずである。
セザンヌ以降の近代絵画の多くは、激しい主観や独特の重い感情表現によって彩られている。
ゴッホなどは、なまの感情を絵の具に乗せたと言われる。

ところがモンドリアンは、新造形主義とかいうものを唱えた。
なぜかは知らないが、絵画表現から主観や粘つく感情を排除しようとしたらしい。

たとえば誰かが対象を観察し、描こうとすると、そこにはどうしても主観が入ってくる。
見つめれば見つめるほど主観から離れられなくなる。
そこでモンドリアンは生肉を削ぎ落とすような単純化を行ったのかもしれない。
風景や人物といった複雑な形態を描くのではなく、図形的な基本要素である水平線、垂直線、そして3つの色のみで空間を構成した。よりシンプルで普遍的な抽象絵画へのアプローチである。

モンドリアンは、ピカソらのキュビズム絵画にふれることで、空間というものが持つ、本質的な魅力を発見したのかもしれない。

たとえば数学の世界において、「美しい数式」とか「エレガントな数式」というものがあるらしい。
アインシュタインの一般相対性理論における重力方程式も美しいといわれる。
それは、時空と物質のシンプルな関係式であり、その解からは、ブラックホールの概念や膨張宇宙論などが導かれたという。

数式には、人間の主観はない。
ガリレイが言うように、数学は自然の言葉であって、アインシュタインはその美しい言葉(方程式)を発見したのである。

モンドリアンは、色と色、色と線の関係式、すなわち自然の美しい秩序を発見しようとしたのかもしれない。
感情を排し、基本要素だけをシンプルに配すことで、自然のあるがままの美しさを示するのである。

「赤、青、黄色のコンポジション」 Composition with Red Blue Yellow
ピエト・モンドリアン Piet Mondrian 1872-1944年,オランダ
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2006年09月17日

エル・グレコ「トレド風景」

View of Toledo, circa 1597-99View of Toledo, circa

エル・グレコは奇妙な画家だと思う。
どの絵もたいてい画面が暗い。というか濃い。
人物は首を捻ったり、体をねじ曲げたりと、軟体動物のようなポーズをとっていたりする。
空も青く晴れ渡っているわけではない。
脳天気という言葉があるが、エル・グレコが見た聖なる世界は、明るく軽薄ではない。
厳しく強いものだったのかもしれない。

トレドの街に、いまにも神の雷(いかずち)が落ちてきそうな気配がある。
中世の都の空は巨大なエナジーが充溢し、大地を極度に緊張させているような感じがする。
丘に登る道には、あまりにも小さな人間たちの姿が見える。

トレドはアラブ人による支配を受けていたが、11世紀にキリスト教徒が国土を奪還、スペインの首都となる。のちにフェリペ2世がマドリッドに遷都し、トレドは古都となった。
中世のたたずまいを色濃く残す街として世界遺産にも登録されている。

クレタ島に生まれたエル・グレコは、イタリアを経てトレドに渡り、この街を終の棲家としている。エル・グレコとは、スペイン語で「ギリシャの人」という意味らしい。街の人たちから、そう呼ばれていたのかもしれない。
「トレド風景」に描かれた大聖堂の鐘塔の位置などは、実際の風景とは異なるという。
街を写実したのではなく、自在な画面構成がなされている。
空の色も、草木のうねりも、すべて心象の中にあったのかもしれない。
エル・グレコは近代になって再評価され、ピカソやポロックなどもその影響を受けたといわれる。

「トレド風景」 1597年制作
エル・グレコ El Greco
1541-1614年,スペイン(ギリシャ・クレタ島)
posted by アートジョーカー at 07:20| Comment(0) | Others | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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