2006年03月07日

セザンヌの遺伝子

岡本太郎は、セザンヌのデッサン力に疑問を呈している。
ただ、ヘタであることと、芸術の問題とはまったく無関係であるともいう。

セザンヌは、古典的な権威にも、前期印象派の「光の魔術師たち」にも、新しい絵画理論で対抗しなければならなかった。
生まれながらにして「主観」でしか絵を描けないゴーギャンやゴッホにとって、セザンヌの理論は魅力にみちていたのだろう。ゴーギャンはセザンヌの絵を買いもとめて、いつも身近においた。ゴッホは、セザンヌの豊かなタッチの影響をうけながら、驚異の色彩世界を開花させた。

セザンヌは「近代絵画の父」と呼ばれる。
ゴッホ、ゴーギャンといった後期印象派に濃いエッセンスを振りかけながら、さらにその絵画理論はピカソ、ブラックによってキュビズムとして継承発展していった。
キュビズムという、ある種の革命は、やがて理論が飛躍し、抽象絵画やオブジェ志向へと流れ、不可解な現代美術にまで行き着く。
すべての源流としてセザンヌがいた。
セザンヌは、芸術を「なんでもあり」にした。
Mont Sainte Victoire

Mont Sainte Victoire
Cezanne, Paul
posted by アートジョーカー at 01:21| Comment(0) | Paul Cezanne | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月06日

セザンヌの冷めた目

セザンヌは同時代のだれよりも冷徹にものを観察した。
瞬間の「光の印象」を描くことより、もののカタチを凝視することを選んだ。
人間も、木も、石も、山も、あらゆるカタチが円筒、円錐、球に分類されうることをみつけた。

セザンヌは、まず、対象を幾何学的な目線でとらえる。
そして、その幾何学のパーツをどのように再構成すれば、もっとも美しくなるかを考える。
たとえば林檎であれば、それが幾つ、どこに、何と、どのようにあれば、美しいかを想う。

セザンヌは表面に表れている「客観」を疑う。ものの秩序、美しさの本質をもとめる。
結果、セザンヌの「主観」による観察がなされた時点で、不要なものはすべて取り除かれて、画面が再構成される。
遠近法は捨てられた。カタチと色の組み合わせによる、新しい3次元的な深度が生まれた。
ときに重力も無視した。
ありえない位置に林檎がのっかっていてもいいのである。

Milk Jug, Apples And Lemons



Milk Jug, Apples And Lemons
Cezanne, Paul

posted by アートジョーカー at 05:32| Comment(0) | Paul Cezanne | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。