2006年03月16日

牛乳を注ぐ女、フェルメール

フェルメールは半分素人画家のはずなのに、贅沢な絵具を使っている。
ラピスラズリという高貴な石からうまれる青で、これを、フェルメールブルーと呼ぶ人もいるらしい。
この青い鉱石は、ピアジェなどの宝飾時計の文字盤に使われていたりする。
いろんな分子の組み合わされる過程で、或る奇跡が起こって、うまれたような青。

フェルメールの絵には光のあて方に謎があるらしいが、灰色の壁も、テーブルの木の色も、牛乳の白も、それを注ぐ女すら、すべてがこの青い色のために存在すると仮定してみる。

絵の中心にあるブルーの静かな響きを愉しむために。

フェルメール「牛乳を注ぐ女」原画同寸大【名画ドットネット】

2006年03月11日

「写生論」正岡子規とフェルメール

文学のなかでリアリズムということをうるさく主張したのは、正岡子規だった。
思想も、気負いも、誇張もなく、ただあるがままに写しとる。
たとえば秋を詠うのに、柿を食って鐘の音が聞こえたという「写生」をする。
子規は、じぶんの墓に抽象的なことばを書かず「給金」を刻ませたという。
この数字で私という人間がなにものであったのかを知ってくれ、ということかもしれない。

「写生」は、ただそこにある日常の風景をあるがままに写しとる。
17世紀のオランダには、当時の光があり、空気があり、ひとびとの暮らしがあった。
見ていると、すっと、17世紀のオランダまで連れて行かれそうなフェルメールの風景。

フェルメール「デルフトの眺望」F6号【名画ドットネット】フェルメール「デルフトの眺望」
posted by アートジョーカー at 00:21| Comment(0) | Johannes Vermeer | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月09日

パンよりも絵を、フェルメールの風景画

17世紀のある時期、オランダではパン職人の数よりも、
画家の数のほうが多かったといわれる。
絵は商品として流通経済にのっていた。
輸出もされたが、国内での需要もあった。

このことは、オランダでは早くから「市民社会」が成立していたことをしめすだろう。
絵は教会や貴族だけのものではなくなった。
インテリアとして絵を楽しむ「市民」があらわれたということかもしれない。

フェルメールの風景画はたいへんめずらしい。
おそらく、2〜3点しか現存していないといわれる。
これも、写真のようにハイライトがくっきりしている。
フェルメールの手にかかると、硬い建物が、すごく柔らかな風景になると思う。

フェルメール「小路」原画同寸大【名画ドットネット】フェルメール/小路
posted by アートジョーカー at 18:25| Comment(0) | Johannes Vermeer | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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