2006年11月11日

フェルメール「画家のアトリエ」

Allegory of Painting

画家に描かれている女性は、ギリシア神話の神クレイオに扮している。
クレイオは9人のミューズ(女神)のひとりで、歴史を司る。

女神は、月桂冠を被り、右手にトランペット、左手に歴史書を抱えている。
「勝利を得、名声を高らかに響かせ、歴史に刻まれる」
小道具たちは、画家が将来手にする栄光の象徴であるといわれる。

フェルメールは宿屋の主人をしながら妻と10数人もの子を養っていたらしい。
将来の画家としての名声を確信していたのかもしれないが、43歳の若さで他界した。借金を残し家族は破産したともいわれる。真の名声を得るまで、200年ほど待たなければならなかった。

一時期、アドルフ・ヒトラーがこの絵に執着したらしい。
やがて悪魔的な手法で買い取ったという。
「勝利を得、名声を高らかに響かせ、歴史に刻まれる」
クレイオという女神に託された寓意が、ヒトラーの心にも強く響いたのかもしれない。

「画家のアトリエ(絵画芸術の寓意)」1665年頃
ヨハネス・フェルメール Johannes Vermeer1632-1675年,オランダ


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2006年03月26日

盗まれた恋文、フェルメール

他人の部屋を覗き見るような、ちょっと奇妙な視点から描かれた「恋文」。
この絵は、フェルメールにしては小道具が多く、多弁だといわれる。
奥の壁に掛かっている、海の風に吹かれて航海をする船の絵は、恋愛の寓意ということらしい。
だから、シターンを弾いていた夫人が、振り返りながら抓んでいる手紙は、「恋文」ということになるのだろう。

夫人とメイドは、家事(箒と洗濯かご)も忘れて、なにやら秘め事の話。
部屋の外から夫がそっと覗き見ているのか、彼女を想う別の男が様子をうかがっているのか、あるいは「世間の目」というものなのか、映画のワンシーンを切り取ったかのように、あれこれ、いろんなストーリーが浮かんでくる。

この絵は1971年に、いちど盗まれた。
アムステルダム国立美術館から、ブリュッセルの展覧会場に貸し出されているときに、何者かに持ち出された。
犯人はフェルメールを人質にとって、難民への多額の援助などを要求した。
言うことを聞かなければ、フェルメールを破壊すると脅したのである。
幸い、犯人は捕らえられたが、絵は木枠に沿って強引に切り取られていたという。

恋文を挟んで何かを語り合う女たちと、それを部屋の外から覗く視点。さらに、この絵を観る鑑賞者。なんだか不思議な「入れ子構造」になっているような感じもする。

「恋文」1670年頃

フェルメール「恋文」原画同寸大【名画ドットネット】

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2006年03月18日

レースを編む女の物質密度

禅の世界に「石を見て笑え」ということばがあるらしい。
なんのことだか、よくはわからない。
任意の、そのへんの石ころを題材にしたとしても、優れた哲学者なら宇宙を想うことができるだろうし、文学者なら珠玉のエッセイを書いてしまうかもしれない。

「私は天使を描かない」といったのはクールベだが、フェルメールは17世紀オランダの、ふつうの生活を描いた。女がレースを編むことは、日常のごくありふれた風景だったのだろう。
だがそこから、のちにルノワールをして「世界で最も美しい絵画のひとつ」といわしめた傑作がうまれた。

本の表紙ぐらいの小さな絵だが、物質としての密度が異常に高く感じる。
計算された構図とか、作者の企みや、寓意とかどうでもいいが、女はレースを編むことに集中し、いつしかその作業は「自動化」しているはず。レースを編みながら、女は「何を想うのか」を考えるのが面白いと思う。

フェルメール「レースを編む女」原画同寸大【名画ドットネット】

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