2006年03月19日

サルバドール・ダリ「燃える麒麟」

Girafe En Feu


「あの人はアイディアの引出しが多い」とか、いう。
「引き出し」は、その人の持つ多様な知識ジャンルや経験の豊かさにたとえられる。

ダリの描く「引き出し」は、記憶のジャンル分けのイメージなのかもしれない。
人間のたくさんの記憶が、脳の中で、どういう風に整理されているのかよくわからないが、音や匂いなどの刺激でも、突然に浮かび上がってくることがある。

ふだんは眠っている記憶が心の奥底で、どのような動きをしているか、想像するのはちょっと怖い。他の記憶とグロテスクに絡み合いながら、互いに主張して譲らないのかもしれないし、強い記憶(恐怖体験、失恋体験など)は、燃え上がって他の記憶を焼き尽くそうとしているのかもしれない。

さらにそこに、性的欲望や自己実現願望といった本能的な想いが記憶を混乱させ、歪めてゆく世界とは?
広大な潜在意識のフィールドでは、一体なにが起こっているのか?
非合理的で、意味不明な潜在意識の世界をビジュアル化すると、自然、わけのわからないものになりそうな気がする。
体からたくさんの引き出しが出てきたり、麒麟がたてがみを燃やしながら歩いていたりするのも、ダリが独自の「偏執狂的批判的方法」によって捉えたひとつのイメージ。

フロイトの潜在意識の発見は、20世紀最大の発見のひとつらしいが、仏教には阿頼耶識( あらやしき)という概念が大昔からあった。アラーヤはサンスクリット語で、なにかを蓄えておく「蔵」を意味する言葉だという。

「燃える麒麟」1936年


posted by アートジョーカー at 15:33| Comment(0) | Salvador Dali | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月15日

ダリの虎、進化する絵画

なんだろう、これは?

ダリ的なコラージュ世界、あるいは分解絵画世界なのだろうか?
勝手に解釈すると、これは絵画のなかに「映画」を持ち込んだようなイメージ。

虎を分解し、あらためてみると、威嚇するような体の意匠が凄い。
噛みついてくるような勢いがあり、獣臭までただよってきそうである。
度を越した迫力の中に、何かを襲って食うことでしか生きられない生物の哀しみすらある。

Cinquenta, Tigre Real
posted by アートジョーカー at 09:20| Comment(0) | Salvador Dali | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月13日

ダリによる「晩鐘」の解釈

ダリの「モナリザ」も奇妙な傑作だが、「晩鐘」もダリが描くと異質なものになった。
ダリの創造力は得体が知れない。

タイトルは『ミレーの「晩鐘」古代学的回想』で、1933年頃の作品。
ダリの家には「晩鐘」の複製画が飾られていたという。
その絵は、幼い頃のダリの脳裏に焼き付き、ある種のトラウマのようなものになっていたという。
画面の下の方にいる小さな親子が、農婦のカタチをしたふたつの巨岩を見つめている。
ミレーの「晩鐘」における農婦は生きた人間であり、労働と祈り、感謝のイメージかもしれない。
しかし、ダリの手になると、農婦が無機質な岩となり、これは、時間によって浸食されるイメージであるという。

わけがわからない。

そういえば、誰の句だったかは忘れてしまったが、
「生き変わり死に変わりして打つ田かな」
というのがあった。

Reminiscence Archeologique De L'angelus

posted by アートジョーカー at 06:26| Comment(0) | Salvador Dali | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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