2006年06月10日

朝の日差し、エドワード・ホッパー

Morgensonne, 1952Morning Sun

人間は光を直接見ることはできないが、光がなければ物を見ることはできない。
光は何かを輝かせることができるが、光そのものは見えないのである。
光より速く走れば物が見えなくなるのかもしれないが、光の質量はゼロで、質量を持った物体は光より速く走ることができない。

「光は、私が知っているあらゆるものとくらべて異質だった。影ですらきらきらと輝き、無数の光が反射していた」-エドワード・ホッパー

ホッパーは若い頃、パリの印象派たちの絵画にひかれたという。
印象派の画家が光によって演出された瞬間の光景を写し取ろうとしたのに対し、ホッパーは光の構造、あるいは光そのものを描こうとしたのではないかとも思う。この絵における人や建物は光の通る場所、光を映し出す媒体であって、描き出したかったのは光そのものではないかとも感じる。

「私はあまり人間的ではないのかもしれない。私の関心は家の壁にあたる陽光を描くことにあるのです」-エドワード・ホッパー

ホッパー絵画において、描く人と描かれる人は、その関わり合いがどこか希薄である。
モデルの女に表情はなく、都市に生きる匿名の女であり、とくにこの女でなければならないという感じがしない。

不思議なのは、世界にはこの女の他に、どこまで行っても人がいないような感じがすることである。
朝起きて、これから無人の廃墟を彷徨いつつ何かを見つけなければならない女。
そんなストーリーが浮かんでくる。
たとえばデ・キリコは、時空の狭間から突如迷い込んでしまったような異世界を描く。
その世界と、どこか似ているような気もする。

「朝の日差し」1952年
エドワード・ホッパー Edward Hopper 1882-1967年,アメリカ


posted by アートジョーカー at 03:51| Comment(0) | Edward Hopper | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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