2006年03月21日

池田満寿夫、美の値段

版画家の池田満寿夫が「美の値段」(1990年初版・光文社)という本を書いている。
これは、実作者の立場から、美術市場という奇妙な世界のからくりを解き明かしたものだ。
おもしろいのは、日本の美術年鑑に記されている絵の価格で、存命中は「遠慮」もあってか、なかなか下がらなかったものが、作家がなくなると急に下がってしまうことなどあるらしい。また号いくらなどという価格の設定も、ナンセンスこのうえないものだと批判する。

池田満寿夫本人については、版画家の欄の二、三番目ぐらいに載っているが、価格のところは空白になっていたらしい。これは、池田の絵は価格にばらつきが多いため、参考価格としての数字が出せないからということ。
また、世界の美術市場で通用する日本の作家は、北斎や歌麻呂などの「浮世絵師」をのぞくとわずか数人程度で、ほとんどの作家が狭い日本市場だけで売り買いされているというから悲しい。
日本では企業がビルを建てると、慣習として建築を請け負った建設会社がエントランスや社長室に飾る絵を贈るという(現在もそうかはわからない)。このときに購入されるのが、「芸術院会員」の肩書きを持った画家の絵であるという。誰も絵のことなどわからず、「芸術院会員」作で、しかも「風景画」であれば間違いはないということらしい。

一度画商に渡した絵の価格がいくらに跳ね上がろうと、作家には、一円も入ってこない。
ラウシェンバーグの油絵が、ニューヨークのオークションで20万ドルという破格で競り落とされたとき、会場にいた彼は、売り主にその5%を要求したが、けんもほろろに断られたという。ラウシェンバーグ本人は、その絵を手放すとき、900ドルを受け取っただけだったらしい。

目利きの画商は、作家が無名のうちから絵を買い上げ、作家をサポートしつつ、将来の資産を築くという。すぐれた鑑識眼を持つ画商によって世に出た作家も多い。印象派のモネやルノアールをサポートしたデュラン・リュエルや、セザンヌやゴーギャン、ピカソを育てたボラールなども本書で紹介している。ゴッホの絵をすべて買い上げていた(というより、あずかって、とりあえず生活の面倒をみていた)弟のテオも、画商だった。しかしテオは、ゴッホの絵がブレイクする前に、なくなっている。

自身の絵の値段をコントロールしたのが、ピカソであるという。
ピカソは多作の天才で、生涯で作り上げた作品は10万点、油絵だけでも2万点にものぼるといわれる。作品が一気に市場にあふれると、いくらピカソでも価格が暴落する可能性が高い。ピカソは市場に、ある種の飢餓状態をつくって、機が熟したときに絵を出した。ピカソの死後、それまで出ていた作品数とほぼ同じぐらいの大量の作品が倉庫に残されていたという。

ピカソは、どういうのが売れる絵かを把握しつつ、「売る絵」と「創る絵」を描き分けていたようにも思う。
ピカソとゴッホは、国際オークションでの最高落札価格記録を、競いあうように更新し続けている。

日本現代版画・池田満寿夫


posted by アートジョーカー at 13:07| Comment(0) | 美術評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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