2006年09月11日

ラ・トゥール「悔い改めるマグダラのマリア」

The Penitent Magdalen, circa 1638-43The Penitent Magdalen, circa

僕は人が祈っている絵が好きだが、これは「罪を悔い改める」絵であるらしい。
悔恨、あるいは懺悔とかいったものも祈りの一種だろうと思う。

愛と哀しみの赤い衣裳を纏い、床には虚飾に満ちた生活の象徴と思われる装身具が投げ捨てられている。そしてマリアの膝の上にあるのは死を表すかのようなどくろである。激しく燃える蝋燭は儚い命を示しているのかもしれない。

色もかたちも、光がなければ見ることができない。
突き詰めて考えると、すべての絵は、なんらかの光を表現したものではないかとも思う。
この絵の場合、哀しく静かな光とでも形容したくなった。

「悔い改めるマグダラのマリア」
ジョルジュ・ド・ラ・トゥール Georges de La Tour
1593-1652年,フランス(ロレーヌ公国)


posted by アートジョーカー at 05:26| Comment(0) | Georges de La Tour | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月03日

ルネ・マグリット「大家族」

大家族(70×100cm) 

嵐の前のような暗い空が鳥のかたちに切り抜かれ、そこだけ晴れているこの絵の何が「大家族」なのだか?

マグリットは、描いてしまったあとで絵の題名を考えたといわれる。
最終的に「大家族」としたのだろうが、実は他にもこの絵のタイトルとして考えていた候補がいくつかあったらしい。

たとえば英国の作家ジョセフ・コンラッドの小説の題名「ロード・ジム」。
一等航海士のジムは、遭難した船を見捨て、800名の乗客を残したままボートで脱出してしまった。これは、重い悔恨を背負ったジムの、その後の人生を描く小説である。
「ロード・ジム」などという題名をつけられていたら、鑑賞者は、また考え込まなければならなかったかもしれない。
偉大な海の英雄に憧れながらも、土壇場で、弱い自分を見せつけられてしまった男。
勇気が反転して怯懦。晴れと曇り。

他に「招待者」というタイトルも考えていたらしい。
これだと、ちょっと怖い。
暗い空が割れて巨大な鳥が現れ、どこか異次元の世界に招待されそうな怖さがある。

そして「大家族」だが、マグリットの絵のタイトルは、まるで、なぞなぞのようである。
「これはパイプではない」という「パイプを描いた絵」のように、哲学的な意図がなんとなくわかるものもあるが、「大家族」は意味不明である。

マグリットはある種のイメージが人間に与える謎に興味があったらしい。
何を与えられるかは人それぞれだろうと思う。
また、イメージと言葉の関係を探求し続けたともいわれる。
マグリット絵画における題名(言葉)とビジュアル(絵)の組み合わせは、ときにあり得ない。
日常の感覚ではあり得ないような事物の組み合わせを提示し、違和感や不安、もしくは陶酔感などをもたらすシュルレアリスムの表現手法に「デペイズマン」というものがある。
マグリット絵画における言葉と絵の組み合わせも、この「デペイズマン」なのかもしれない。

「デペイズマン」に惑わされながら、「デペイズマン」を楽しむのが面白いと思う。
posted by アートジョーカー at 05:05| Comment(0) | Rene Magritte | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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