2006年06月09日

夜更かしの人々、エドワード・ホッパー

NighthawksNighthawks

「『夜更かしの人々』は夜の通りに対する私のイメージを表したもので、特別孤独なものを表現したわけではない」 -エドワード・ホッパー

ホッパーの絵は建物、あるいはその周囲の空間に不思議な情感が漂っていて、そこに人がいなくても成立するのではないかとも思う。
ホッパーは建物だけを描く場合も多い。人との関わりを感じさせる建物を描く。
建物(文明)と人間の関係性のようなものを描こうとしているのかもしれない。

アメリカでは、砂漠の中に忽然と新しい街が現れたりする。
歴史の地層に積み重ねられた、街そのものが持つしがらみや怨念が希薄で、どこか乾いているのである。

風景そのものが乾いた雰囲気をもっていて、その中にいる人も風景のひとつにすぎない。
街の人は、どこで生まれたのか、どんなルーツがあるのかもわからない、見知らぬ人同士なのである。

「夜更かしの人々」1942年
エドワード・ホッパー Edward Hopper 1882-1967年,アメリカ


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2006年06月08日

真昼、エドワード・ホッパー

High NoonHigh Noon

大陸のどこか一点に、ぽつりと一軒の家が存在する。
他に気配はない。
自然と文明の奇妙なコントラストだけがある。
文明は空気と同じぐらい乾いているような気がする。
それはヨーロッパのように地層として積み上げられたものではなく、いきなり外の世界、旧世界からやってきた。
忽然とした、その感じがアメリカの風景ではないかと思う。

ホッパーは新写実主義の画家といわれる。
ヨーロッパでアメリカ独自の絵画といえばホッパーのことらしい。
ホッパーの絵には、アメリカが、アメリカらしかった頃の情景があるのかもしれない。

「真昼」1949年
エドワード・ホッパー Edward Hopper 1882-1967年,アメリカ
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2006年06月04日

カイユボット「パリの通り、雨」

Paris Street Rainy DayParis Street Rainy Day

映画のワンシーンのようだが、構図にどこか違和感がある。
広角レンズによって空間が引き伸ばされたような奇妙な風景である。
2点透視によって描かれた左奥の建物がずしりと重い。
中心に、まっすぐな瓦斯灯がそびえ立って、絵をふたつに分断しているかのようでもある。

背景の建物や通りを歩く人たちと、手前の男女のいる空間は、どこか異質なような気がする。
空気の変化によって表現される、不思議な遠近感があるようだ。
上映中のスクリーンの前に、ふたりの男女が立っているような感じもする。

石畳が濡れてきらきらしている。
時に、雨はいい。
街の喧噪は雨音に包まれて、ふたりのための空間は静かになる。
雨の街をふたりで歩くことは、ふたりで映画を観ることと同じように楽しい。

「パリの通り、雨」1877年
ギュスターヴ・カイユボット Gustave Caillebotte 1848-1894年,フランス
posted by アートジョーカー at 04:56| Comment(0) | Others | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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