2006年06月18日

ジョージ・トゥッカー「地下鉄」

G205.jpg

なんだろう、この天井の低さは。
蟻の巣に閉じこめられた人間たちがうろうろしているようだ。
みんな身を守るかのようにコートをきっちり着込んでいる。旧共産圏の地下鉄構内を思わせる雰囲気もある。

この絵は1950年の作だという。不思議な感じがする。
「病めるアメリカ社会」の始まりは60年代の半ば頃だったと思う。1950年当時のアメリカ市民は、世界一豊かな大国の住人として、もっと明るく誇らしげな表情をしていたのではないだろうか。
トゥッカーは、まだ陽気だった頃のアメリカの底に潜む「不安」を感じていたのかもしれない。

トゥッカーのGovernment Bureauという作品も興味深い。役所の建物の中。窓口はすべてスモークガラスで目隠しされ、小さな穴から役人の目だけが覗いている。重たそうなコートを着た市民たちは、その後ろ姿のみで顔が見えない。常に監視され、並ばされる人間たちに顔はないのかもしれない。

「地下鉄」1950年
ジョージ・トゥッカー george tooker 1920-,アメリカ


posted by アートジョーカー at 07:15| Comment(0) | Others | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月17日

リキテンスタイン 「ヘアリボンの少女」

Girl with Hair Ribbon, 1965Kiss V, 1964


現代人は自動化、機械化によるさまざまな恩恵にあずかっている。
もしも、ある大量生産品を人間の手で作ってみるとしたら、途方もない時間と労力がかかるはずである。

リキテンスタインは、たとえば印刷というシステムによって大量生産されることが前提だったコミックを、自分の手で作ってみた。
コミックには約束事がたくさんあった。パターンと言ってもいい。
パターン化された表現は誰にでもわかりやすくメッセージも一瞬で伝わる。
コミック的表現という「共通認識」が確立されたスタイルをもっていたともいえる。
それは、型にはまったスター、決まり切った表現、すべてがパターン化されたポップな消費社会のスタイルそのものだったのかもしれない。

リキテンスタインは、印刷によるドットの一点一点までも大変な手間と時間をかけて極めて精密に描き出した。恐ろしくマニアックな入念さである。構図や色彩表現にもこだわり、物語を感じさせる豊かな表情も、いわゆるコミックのそれとは異なる(しかし日本漫画の表現力は凄い)。パターン化されたコミックのカタチを借りて、手作りによる一点ものの優れた芸術作品(かもしれない)を制作したのである。

リキテンスタインの絵にふれて、ある種の怖さ--町を歩くだけでは見えにくい現代社会の本質--といったものを感じてもいいだろうし、単にどんな素材でもアートに成りうるという可能性を感じてもいいだろうし、そこは自由ではないかと思う。

左の「ヘアリボンの少女」は東京都現代美術館の常設展示作品である。
印刷というシステムによる生産品を主題として描いた絵画だから、その「印刷物」よりも本物にふれてみるのがいいのかもしれない。
1994年、東京都は6億円で購入した。
都議会では「漫画に6億円も出すのか」という怒号が飛んだという。

ロイ・リキテンスタイン Roy Lichtenstein 1923- ,アメリカ
Girl with Hair Ribbon, 1965
Kiss V, 1964
posted by アートジョーカー at 09:21| Comment(2) | Others | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月16日

アンディ・ウォーホルと消費財

Mao, 1972Mao

「アメリカの考え方はすばらしい。
平等になればなるほど、ますますアメリカらしくなるからだ」
-アンディ・ウォーホル

平等とは物と情報が誰にでも広くゆきわたることかもしれない。
アンディ・ウォーホルは広告クリエイター出身でもあり、大量生産、大量消費時代を象徴するアーティストといえる。主題に選んだスープ缶やコカコーラは大量生産による「消費財」で、さらに絵そのものもシルクスクリーン印刷の技法を使い、ファクトリーによる分業システムで量産した。

大量消費時代は映画スターも「消費財」であって、惜しげもなく露出し、大衆はそれを一気に消費して食い尽くしてしまうか、賞味期限がきたら次の「消費財」に目を移す。
メディアはなんでも有名にし、事故や事件、犯罪者ですらある種の「消費財」にしてしまう。
そしてアンディ・ウォーホルは現実の事故や実在の指名手配犯の写真をもとにした作品を創っている。

「マオ」は1972年の作品である。
この年、ニクソンが合衆国大統領として初めて中国を訪問。米中共同声明を発表し、中華人民共和国を事実上承認することになる。 中国の指導者、アジアの巨大な共産国は、アメリカ人の目にどう映っていたのだろう。ベトナムにおいては恐るべき敵だったし、無気味で奇妙で理解できない存在だったのかもしれない。メディアは指導者の肖像をひとつの記号として大量に流し、消費者はそれを食い続けたのかもしれない。

アンディ・ウォーホルの絵とは、なんでもかんでも大衆の前に引きずり出し、食い尽くし、平等と騒がしさを好む消費社会そのものの表現ではないかとも思う。


「マオ」1972年
アンディ・ウォーホル Andy Warhol 1928(1931)-1987年,アメリカ
posted by アートジョーカー at 09:39| Comment(0) | Others | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。