2006年05月08日

アルフレッド・シスレー

Snow at Louveciennes, 1878 Sisley, Alfred

太郎を眠らせ 太郎の屋根に雪降りつむ
次郎を眠らせ 次郎の屋根に雪降りつむ  

この絵を観ていると、三好達治の「雪」という詩を思い出す。
日本人は風景画が好きだという。それも詩情のある風景が好きだ。

シスレーは1839年、パリに生まれた。国籍はイギリスにあった。
一時期、ロンドンで商売をしていたが、23歳の頃にパリに戻り画業を志す。
モネやルノアールら印象派の画家たちとの知己を得、印象派展に出品するようになった。

シスレーの描く風景は端正で静謐である。
「事件」といえば雪が降ることぐらいだ。
雪に閉ざされた町から「無音の音」が聞こえてきそう。シスレーの絵を観ていると「無音の音」というものが存在するような気がしてくる。

アルフレッド・シスレー 「雪のルーヴシェンヌ」1878年


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2006年05月07日

マネの大胆さ、オランピア

Olympia, 1863 Olympia

オランピアとはなんだろう。
黒人女が持っているのは客から贈られた花束であるという。
オランピアは実在した娼婦の名前だった。
つまりマネは、江戸の浮世絵師たちが巷で噂の花魁を描いたように、花街の女その人を描いた。

当時のひとたちは衝撃を受けたらしい。
画家はモデルを使って裸婦を描いたが、それはたいてい匿名だった。あるいは神の世界の裸婦だった。
鑑賞者は現実の匂いをかがされた。
マネは生きた女のリアリティを突きつけたようだ。

凛とした女。
気高そうで、客の方が贈り物をし、かしづかなければならないようなふんいきが漂っている。
しかし、どこかすべてがまやかしのような、作られた世界のような趣。
19世紀半ばのパリにおける高級娼館がどういうものだったのかは知らないが、クールベはオランピアを一見して「スペードのクイーンのようだ」と言ったらしい。

マネは、自然の景色だけではなく、人間から感じた印象までを描いた。
マネがいわゆる印象派の画家であるかどうかはともかく、これぞ印象派の真骨頂ではないだろうか。

「オランピア」エドゥアール・マネ 1863年
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2006年05月05日

ピカソの恋人ドラ・マール

Portrait of Dora Maar, 1937 Portrait de Dora Maar

Pablo Picasso,Portrait of Dora Maar

5月の2〜3日に行われたサザビーズのオークションで、ピカソの「ドラ・マールと猫」(1941年)が約108億円で落札されたようだ。
ドラ・マールはピカソの助手をつとめた女性で愛人でもあった。ピカソがドラ・マールと男女の関係になったとき、もうひとりの女性マリー・テレーズ・ワルテルは妊娠中だったらしい。ピカソが50代半ば頃の話。

ドラ・マールはピカソの写真をたくさん撮っている。ピカソはドラ・マールの肖像をたくさん描いている。もっとも有名なのは「泣く女」だろう。
ドラ・マールは「泣く女」のモデルだった。キュビズムの極致のような作品で、女の悲しみが爆発したような凄まじいエネルギーを発散する絵である。

残念ながら「ドラ・マールと猫」「泣く女」の写真が提供元にない。
上のふたつの絵もピカソによるドラ・マールの肖像画。
左は1937年頃の作品で、横を向いた彼女と正面を向いた彼女が同時に描かれている。ちょっとすました感じで、可愛らしい雰囲気。右の方は茫洋としてせつなげで、どこかローランサン風でもある。
posted by アートジョーカー at 15:22| Comment(1) | Pablo Picasso2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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