2006年05月31日

ゴッホの普通じゃない恋

Irises, Saint-Remy, 1889Irises, Saint-Remy

ゴッホは短い生涯のなかで、いくつかの恋をしている。
恋といっても、絵のように情熱的に燃え上がったのはゴッホの方だけで、相手にとっては迷惑このうえないものだったらしい。

二十代の後半、ゴッホはエッテンの家に帰る。
伯父の家に、離婚して子を連れて戻ってきていた従姉がいた。
ケー・フォスという女性だった。彼女に恋をしたらしい。

ゴッホの恋には駆け引きもなにもなかった。
毎日のように伯父の家に通い、しまいには愛のあかしを見せるためだといい、蝋燭の炎に指を突っ込んだという。こんなに愛しているんだと。
彼女は得体の知れない狂気をみたようで、恐怖を感じただろう。

しかし、この失恋、絶望がゴッホをして絵に向かわせることになる。
生きることのすべてのエネルギーを絵にそそぐしかなくなってしまったのだろう。

フィンセント・ファン・ゴッホ  Vincent van Gogh 1853-1890年,オランダ
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2006年05月27日

中華屋のゴッホ

Cypress TreesCypress Trees

出先で腹が減ったので、中華屋に入った。
初老の夫婦がやっている小さな中華屋だった。
メニューに本格中華はなく、ラーメン屋に毛の生えたよう店で、客は近所の労働者か学生風である。
そこに、なぜかゴッホがあった。もちろん複製画で、油にまみれて黒くなっていた。
そこでは、漫画本も週刊誌も壁もゴッホも、みんな油でべっとりとしていた。

その中華屋に、なぜゴッホが存在していたのかはわからない。店主が好きで掛けているのなら面白い。しかし、誰かからの的の外れた贈り物だったのかもしれない。

おそらく誰も見てはいないだろうが、ゴッホはゴッホである。
ゴッホ本人は、どこにでも飾って楽しんでもらいたはずである。
別にゴッホが豪邸や、金をふんだんにかけた地方自治体の美術館に似合うとも思わない。
だが、中華屋のインテリアとしてのゴッホは、猛烈な不協和音を発していた。
人間社会と、うまく和音が奏でられなかった、ゴッホの生涯をふと想った。
posted by アートジョーカー at 16:18| Comment(0) | Vincent van Gogh | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月26日

マグダラのマリア、危うい壁画2

ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」50号【名画ドットネット】

「最後の晩餐」も、かなり危うい。
遅筆の天才といわれるダ・ヴィンチだが、この壁画は2年ほどで描き上げたらしい。
壁画なのにテンペラ画の技法で描いたため、ダ・ヴィンチ存命中から顔料が剥がれ始めたといわれる。その後も時の浸食、損傷を受けながら、数百年に渡って何度も修復が行われてきた。
洪水にみまわれたりもした。
第二次世界大戦下のミラノ空爆では、「最後の晩餐」がしるされたサンタ・マリア・デッレ・グラーツィエ修道院の食堂そのものが破壊された。しかし壁画自体は紙一重で生き残ったという。
「最後の晩餐」の薄まり消えゆくような危うさの中に、ミステリーがあるのかもしれない。

小説「ダ・ヴィンチ・コード」では、真ん中のイエスの向かって左にいるのがマグダラのマリアではないかという。その、さらに左横のペトロとの3人でMという字を構成するとか。

しかしユダが罪人として差別されず、みんなと並列して描かれているため、すべての罪人も、やがて許され救われることを示す奇跡の構図であるという捉え方があるようだ。

レオナルド・ダ・ヴィンチ Leonardo da Vinci1452-1519年,イタリア
「最後の晩餐」1948年 サンタ・マリア・デッレ・グラーツィエ修道院
posted by アートジョーカー at 11:25| Comment(0) | Others | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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