2006年04月10日

マティスのある窓辺もいいなぁ

Interior with Egyptian CurtainInterior with Egyptian Curtain

アンリ・マティスは1869年、北フランスのル・カトー・カンブレジで生まれた。
法律家をめざし、19歳の頃にパリの法学校で学んだのち、故郷に帰り、法律事務所に勤めた。が、病気療養をきっかけに絵画に目覚め、画業を志すようになる。

この絵は、『ギャラリーフェイク』(細野不二彦)2巻ART.1「愛国者のトリック」に出てくる。ストーリーとの直接の関係はなく、ただ1コマの中に、すっと描かれているだけだが、その存在感に少し驚いた。

作者がマティスの絵を、Gペン・黒インクで模写し、スクリーントーンを貼って仕上げたと思われる。だからモノクロなわけで色がない。しかし、マティス以外の何物でもないと思った。色がないからこそ、物の配置、バランス……構図の完璧さが妙に際だって見えたのである。

こういう絵が部屋の窓わきに、ぽつりと掛けてあると、とても洒落ていると思う。


posted by アートジョーカー at 16:17| Comment(0) | Henri Matisse | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月05日

マティスの「赤い部屋」

Harmonie Rouge


「赤い部屋」は1908年頃の作品で、ほぼ同時期に、ピカソは「アヴィニョンの娘たち」を描いている。この頃、フォービズムの画家たちの多くが、ピカソらのキュビズムへと流れていったといわれるが、マティスはキュビズムの影響をうけつつも、独特の絵画世界を獲得したようだ。

ぜんたいに、ベタッとした印象で、奥行きや明暗といったものがない。
20世紀後半に流行したイラストレーションのようでもある。
マティスは、法律家のように冷徹な目で過去の絵画を検証し、次なる絵画の方向を模索していたらしい。そして、どんどん無駄と思えるものを排除し、簡素化、単純化の方向へとむかう。

絵とは、写実ではなく、何かを「表現」するものだとマティスはいう。
マティスの「表現」は、色そのものや、物の配置、構図といったものにおいて行われる。
マティスは、「赤い部屋」を描くにあたって、たとえば「幸福で暖かい家庭」というものを表現したかったと考えてみる。

赤い色が、ただ単にあるだけでは幸福で暖かいイメージは出ない。
そこに、ところどころの青と黄色、窓の外の緑という配色が行われると、単なる赤ベタから、何かの「表現」というものに一変する。
試しに、窓の外の緑を手で隠してみると、それがよくわかる。
隣に緑があると、補色対比効果によって部屋の赤はぐっと鮮やかにみえるようだ。

配色、配置、構図のみで何かを表現する。
こうしたマティスの考え方を、さらに突き詰めていくと、やがて抽象絵画の世界へと向かうのかもしれない。
posted by アートジョーカー at 18:04| Comment(0) | Henri Matisse | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月02日

クリムトが描くユディト

Judith

アッシリアのホロフェルネス将軍が、ベトリアの町を包囲した。
町は水源を断たれ、無条件降伏を迫られた。
そのとき、美しい未亡人ユディトが、敵陣に乗り込んで交渉した。
ホロフェルネス将軍は、ユディトの美貌に惑わされ、酒を酌み交わした。
ユディトは、酔って眠り込んだ将軍の首を掻き切って、町に持ち帰った。
大将を失ったアッシリア軍は退却した。

クリムトにとって、ユディトは最高の「素材」だったのかもしれない。
ボッティチェリ、ジョルジョーネ、クラーナハといった過去の大家たちも、ユディトを描いている。
が、それはジャンヌ・ダルクのような勇敢な聖女のイメージである。
こんなユディトを見たことがない。
天性のサディストのような、底知れぬ妖艶さが漂っている。
posted by アートジョーカー at 18:27| Comment(0) | Gustav Klimt | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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