2006年04月17日

モディリアーニの堕落論

モディリアーニ「ルネ」M12号【名画ドットネット】

自虐というものが、果たして気持ちのいいものかどうかはわからないが、
あまりに不甲斐ない自分、もしくは満たされない自分を恨み、おのれ自身でおのれを壊したくなるとき、それがいますぐではなくても人は野垂れ死にを望む。
そういう意味で、モディリアーニも、いつかどこかでぶっ倒れて死ぬことを心の奥で望んでいたのかもしれない。実際、36歳の冬、その通りになった。

野垂れ死ぬために、たとえば酒でからだをいじめ抜く。そして酔うことでしか生きられなくなる。
20世紀の初め頃、モンパルナスを根城に活動した「エコール・ド・パリ」という言葉で括られる芸術家たちは、日本の戦後文学における無頼派とどこか似ているような気もする。
酒、議論、貧困、持病、傲慢、繊細、自堕落、破滅……そして恋愛。
恋して酔い続けた人生ではないと、こういうゾクッとするような女の絵は描けないのかもしれない。
posted by アートジョーカー at 11:23| Comment(0) | Amadeo Modigliani | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月15日

桃色の裸婦、マティス

Pink Nude, 1935

なにかもう、こうなると、桃色を楽しんだり、桃色という色彩の素晴らしさを表現するために描いたような絵ではないかとも思う。

桃色の裸婦にも、習作が何枚もあって、最初の頃はふつうの裸婦画に近い。
そして人間のカタチがだんだん単純化されていく。
マティスは、もはや目に見える対象を単にデフォルメして描くのではなく、自分が想う、最良のカタチを自在に作っているような感じ。目に映った対象は、創造のための、ちょっとしたきっかけにすぎない。
そして最後は、画面の中に、「色彩の美しい秩序」だけが残るのかもしれない。

「桃色の裸婦」1935年
posted by アートジョーカー at 14:05| Comment(0) | Henri Matisse | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月14日

少しずつ好きになる、マティスのダンス

Dance

マティスの絵を積極的に買い求めたのは、ロシアの富豪セルゲイ・シチューキンをはじめとする外国人たちだった。1910年に「ダンス」を描いた頃は、まだフランスでは認められていなかったのである。

マティスは「ダンス」のための習作を何枚も描いている。そのスケッチや水彩画などが残っていて、マティスの試行錯誤のあとが見られておもしろい。

「ダンス」は、少しずつ好きになっていく絵ではないかと思う。
ヒトのカタチと色だけの、単純で平面的な構成が、なんだかとても気持ちいいし、どれだけ見ていても飽きない。

1930年、バーンズ美術館から壁画制作を頼まれたとき、マティスは、ふたたび「ダンス」を描く。20年前に描いたダンスよりも、さらにすっきりと単純に仕上げている。
posted by アートジョーカー at 16:23| Comment(0) | Henri Matisse | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする