2006年03月09日

パンよりも絵を、フェルメールの風景画

17世紀のある時期、オランダではパン職人の数よりも、
画家の数のほうが多かったといわれる。
絵は商品として流通経済にのっていた。
輸出もされたが、国内での需要もあった。

このことは、オランダでは早くから「市民社会」が成立していたことをしめすだろう。
絵は教会や貴族だけのものではなくなった。
インテリアとして絵を楽しむ「市民」があらわれたということかもしれない。

フェルメールの風景画はたいへんめずらしい。
おそらく、2〜3点しか現存していないといわれる。
これも、写真のようにハイライトがくっきりしている。
フェルメールの手にかかると、硬い建物が、すごく柔らかな風景になると思う。

フェルメール「小路」原画同寸大【名画ドットネット】フェルメール/小路
posted by アートジョーカー at 18:25| Comment(0) | Johannes Vermeer | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月08日

青いターバンの少女と見返り美人

フェルメール「青いターバンの少女」特別額縁版【名画ドットネット】青いターバンの少女

菱川師宣の「見返り美人」が描かれたのが1692年ごろで、フェルメールの「ターバンの少女」は1665年ごろの作品といわれる。
フェルメールのほうが、30年も早い。
この頃のオランダでは見返りポーズが流行っていたらしいが、浮世絵との関係はよくわからない。ただ、オランダはヨーロッパにとって「鎖国日本」の唯一の窓口で、浮世絵も相当早い時期からむこうに渡っていたといわれ、逆にヨーロッパの絵画も日本の絵師たちには早くから知られていたらしい。

少女の目と鼻筋のあたりにフォーカスが絞られているため、耳のあたりがボケて、写真のような不思議な遠近感が出ている。
こうしたフェルメール独特の表現がうまれたのは、カメラ・オブスクーラ(初期の写真機)に写るイメージをもとに描いたからだといわれている。
posted by アートジョーカー at 14:16| Comment(0) | Johannes Vermeer | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月07日

セザンヌの遺伝子

岡本太郎は、セザンヌのデッサン力に疑問を呈している。
ただ、ヘタであることと、芸術の問題とはまったく無関係であるともいう。

セザンヌは、古典的な権威にも、前期印象派の「光の魔術師たち」にも、新しい絵画理論で対抗しなければならなかった。
生まれながらにして「主観」でしか絵を描けないゴーギャンやゴッホにとって、セザンヌの理論は魅力にみちていたのだろう。ゴーギャンはセザンヌの絵を買いもとめて、いつも身近においた。ゴッホは、セザンヌの豊かなタッチの影響をうけながら、驚異の色彩世界を開花させた。

セザンヌは「近代絵画の父」と呼ばれる。
ゴッホ、ゴーギャンといった後期印象派に濃いエッセンスを振りかけながら、さらにその絵画理論はピカソ、ブラックによってキュビズムとして継承発展していった。
キュビズムという、ある種の革命は、やがて理論が飛躍し、抽象絵画やオブジェ志向へと流れ、不可解な現代美術にまで行き着く。
すべての源流としてセザンヌがいた。
セザンヌは、芸術を「なんでもあり」にした。
Mont Sainte Victoire

Mont Sainte Victoire
Cezanne, Paul
posted by アートジョーカー at 01:21| Comment(0) | Paul Cezanne | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする