2006年03月13日

ダリによる「晩鐘」の解釈

ダリの「モナリザ」も奇妙な傑作だが、「晩鐘」もダリが描くと異質なものになった。
ダリの創造力は得体が知れない。

タイトルは『ミレーの「晩鐘」古代学的回想』で、1933年頃の作品。
ダリの家には「晩鐘」の複製画が飾られていたという。
その絵は、幼い頃のダリの脳裏に焼き付き、ある種のトラウマのようなものになっていたという。
画面の下の方にいる小さな親子が、農婦のカタチをしたふたつの巨岩を見つめている。
ミレーの「晩鐘」における農婦は生きた人間であり、労働と祈り、感謝のイメージかもしれない。
しかし、ダリの手になると、農婦が無機質な岩となり、これは、時間によって浸食されるイメージであるという。

わけがわからない。

そういえば、誰の句だったかは忘れてしまったが、
「生き変わり死に変わりして打つ田かな」
というのがあった。

Reminiscence Archeologique De L'angelus



posted by アートジョーカー at 06:26| Comment(0) | Salvador Dali | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月12日

「記憶の固執」もう一人のダリ

あなたの中に潜む、もう一人のあなた。
その、もう一人のじぶんは巨大な欲望や不安を抱いている。
欲望も不安も、いつも出口を求めて心の底で叫び続けている。
ダリは若い頃、フロイトの理論にハマったといわれる。
ダリの脳裏にときどき映る、わけのわからないイメージの正体をあばくのに、うってつけの理論だったのかもしれない。

ダリの有名な柔らかい時計だが、なぜ人はこの絵に惹かれるのか。

誰が訳したのか知らないが、邦題は「記憶の固執」。
柔らかい時計は、人間の記憶というか、心そのもので、そこに蟻がたかってくる。
つまりは、腐臭を放っているのかもしれない。
しかもその記憶は、無愛想に機械的に、容赦なく過ぎていく時間に噛みつかれ飲み込まれていくしかない。
この時計のイメージが、人の心の一番柔らかい部分を、容赦なく「触ってくる」のかもしれない。

The Persistence of Memory, 1931


The Persistence of Memory, 1931
posted by アートジョーカー at 05:01| Comment(2) | Salvador Dali | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月11日

「写生論」正岡子規とフェルメール

文学のなかでリアリズムということをうるさく主張したのは、正岡子規だった。
思想も、気負いも、誇張もなく、ただあるがままに写しとる。
たとえば秋を詠うのに、柿を食って鐘の音が聞こえたという「写生」をする。
子規は、じぶんの墓に抽象的なことばを書かず「給金」を刻ませたという。
この数字で私という人間がなにものであったのかを知ってくれ、ということかもしれない。

「写生」は、ただそこにある日常の風景をあるがままに写しとる。
17世紀のオランダには、当時の光があり、空気があり、ひとびとの暮らしがあった。
見ていると、すっと、17世紀のオランダまで連れて行かれそうなフェルメールの風景。

フェルメール「デルフトの眺望」F6号【名画ドットネット】フェルメール「デルフトの眺望」
posted by アートジョーカー at 00:21| Comment(0) | Johannes Vermeer | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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