2006年03月24日

目を瞑って見た世界、デ・キリコ

憂鬱【600mm×800mm】アートポスター

デ・キリコは1988年、ギリシャで生まれた。両親はイタリア人。
幼少の頃より絵を描きはじめる。19歳でミュンヘンの美術アカデミーに入り、ニーチェの思想にも触れた。のち、魂の故郷ともいえるフィレンツェに移り住み、ルネサンス絵画を学ぶ。

「神は死んだ」と言ったのはニーチェだが、キリコの見た街は死んでいるのか、生きているのかわからない。

有能な考古学者は、遺跡のまえに立つとインスピレーションが沸いてきて、太古の人間たちの暮らしぶりが見えてきたり、生活の匂いまで漂ってくるというが、デ・キリコの場合、いまある街の姿に、遠い過去の記憶ようなものが映り込んだのかもしれない。とにかくデ・キリコのいる周囲の時空は歪んだかのように奇妙なビジョンをもたらしたようだ。
目を瞑って、魂に聞いてみた世界がそこにあったのかもしれない。

ジョルジョ・デ・キリコ「憂鬱」



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2006年03月22日

デ・キリコの「終わりなき旅」

Endless Voyage

アリストテレスは「自然学」のあとに続くものとして、「第一哲学」を著した。
この表題からは、「哲学がここから始まる」という意気込みが感じられる。
「第一哲学」は、自然学を超える形而上学(metaphysics)の基礎となった。

自然学は、自然の物理的な現象を見つめるもので、形而上学はその奥にある「存在」を想うもの。
たとえば第一存在としての神を考える場合にも活かせるため、のちに神学にも採り入れられ、スコラ哲学を生むことになる。
日本にキリスト教を伝えた宣教師たちは、議論好きの僧侶などから様々な問答を仕掛けられたとき、形而上学を学んでいたことが役に立ったともいう。

アリストテレスの形而上学は、プラトンが唱えたイデア論に、アリストテレス自身の解釈でもって修正を加えたものといわれる。イデア論とは、目に見える事象などは本質としての「イデア」の影にすぎないという、独特の超自然的世界観にもとづくもの。どっちにしても、見えたままの現象を信じないし、そこに高い価値をおかない。

デ・キリコは形而上絵画の代表といわれ、ダリなどのシュルレアリスムの画家たちに影響を与えた。
形而上絵画とはなんだ?
ということになると、単なる写実ではなく、その奥にある本質を描くことだろう。

たとえばパリの町で、ショーウィンドーの向こうに立たされたマネキンを見たとき、デ・キリコの脳裏にある風景が映ったとする。
いつも何かに拘束されて生きながら、周囲とは戦争ばかりをし、屍を積み重ねている人間の都市というものが、混乱した時間のスクリーンに映ったとする。

ジョルジョ・デ・キリコ「終わりなき旅」1914年



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2006年03月21日

池田満寿夫、美の値段

版画家の池田満寿夫が「美の値段」(1990年初版・光文社)という本を書いている。
これは、実作者の立場から、美術市場という奇妙な世界のからくりを解き明かしたものだ。
おもしろいのは、日本の美術年鑑に記されている絵の価格で、存命中は「遠慮」もあってか、なかなか下がらなかったものが、作家がなくなると急に下がってしまうことなどあるらしい。また号いくらなどという価格の設定も、ナンセンスこのうえないものだと批判する。

池田満寿夫本人については、版画家の欄の二、三番目ぐらいに載っているが、価格のところは空白になっていたらしい。これは、池田の絵は価格にばらつきが多いため、参考価格としての数字が出せないからということ。
また、世界の美術市場で通用する日本の作家は、北斎や歌麻呂などの「浮世絵師」をのぞくとわずか数人程度で、ほとんどの作家が狭い日本市場だけで売り買いされているというから悲しい。
日本では企業がビルを建てると、慣習として建築を請け負った建設会社がエントランスや社長室に飾る絵を贈るという(現在もそうかはわからない)。このときに購入されるのが、「芸術院会員」の肩書きを持った画家の絵であるという。誰も絵のことなどわからず、「芸術院会員」作で、しかも「風景画」であれば間違いはないということらしい。

一度画商に渡した絵の価格がいくらに跳ね上がろうと、作家には、一円も入ってこない。
ラウシェンバーグの油絵が、ニューヨークのオークションで20万ドルという破格で競り落とされたとき、会場にいた彼は、売り主にその5%を要求したが、けんもほろろに断られたという。ラウシェンバーグ本人は、その絵を手放すとき、900ドルを受け取っただけだったらしい。

目利きの画商は、作家が無名のうちから絵を買い上げ、作家をサポートしつつ、将来の資産を築くという。すぐれた鑑識眼を持つ画商によって世に出た作家も多い。印象派のモネやルノアールをサポートしたデュラン・リュエルや、セザンヌやゴーギャン、ピカソを育てたボラールなども本書で紹介している。ゴッホの絵をすべて買い上げていた(というより、あずかって、とりあえず生活の面倒をみていた)弟のテオも、画商だった。しかしテオは、ゴッホの絵がブレイクする前に、なくなっている。

自身の絵の値段をコントロールしたのが、ピカソであるという。
ピカソは多作の天才で、生涯で作り上げた作品は10万点、油絵だけでも2万点にものぼるといわれる。作品が一気に市場にあふれると、いくらピカソでも価格が暴落する可能性が高い。ピカソは市場に、ある種の飢餓状態をつくって、機が熟したときに絵を出した。ピカソの死後、それまで出ていた作品数とほぼ同じぐらいの大量の作品が倉庫に残されていたという。

ピカソは、どういうのが売れる絵かを把握しつつ、「売る絵」と「創る絵」を描き分けていたようにも思う。
ピカソとゴッホは、国際オークションでの最高落札価格記録を、競いあうように更新し続けている。

日本現代版画・池田満寿夫
posted by アートジョーカー at 13:07| Comment(0) | 美術評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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